大西 保

Tamotsu Onishi Official Website

陽だまりの二人

(一滴通信より)
大西 保

私が美大生だった頃、文芸評論家の奥野健男(おくのたけお)氏が教員として大学におられた。先生は「伊藤整(いとうせい)の『氾濫』に登場する学生は、俺がモデルなんだ」と、よく誇らしげに話しておられた。そんなある日、先生は「『死の棘』などで有名な小説家の島尾敏雄(しまおとしお)氏が来ているので、君たちも来ないか」と、声を掛けてくださった。すでに『死の棘』を読んでいた私は喜び勇んで教授寮に駆け込み、和服姿で伏せ目がちに佇むその文士を目の当たりにした。この男性が、あの暴れ放題ともいえる破天荒な小説の作者なのだと、思わず息をのんだ記憶がある。

私の小説行脚(あんぎゃ)は、大学時代のこのひとコマから始まった気がする。多くの作家が描いた小説の世界に入り込み、それぞれの世界に思いを馳せた。そして、もちろん、そのなかに水上勉という、あの激動の昭和という時代を動かした作家もいた。

あれから幾年かの時間を経て、私はある学校の美術教師として職を得ることとなった。

若い頃から水上の小説をカバンに押し込んで暇さえあれば頁(ページ)を繰っている私は、かなりの水上文学ファンと周りから見られていたのだろう。そんな私に、教師仲間が校外学習で若州一滴文庫の見学を予定しているので引率のメンバーに君も入れておくと声を掛けて呉れた。

校外学習当日、透き通った青空のもと観光バスに乗り込み、多くの生徒たちと楽しみに弾む気持ちを抑えつつ若狭(わかさ)へ向かった。出発から幾らかの時間が過ぎ、目の前には和風建築物の一群があらわれた。創設まもない一滴文庫は、思った通り活気と希望に満ち溢れていた。その姿、その雰囲気を感じた瞬間、心の中で「よくぞ友は誘って呉れたものだ」と感謝の思いがふつふつと湧いてきた。

早速、生徒達と引率の私たちは園内に案内されて、本館や竹人形館、そして竹紙製作の行程を見学させてもらうことができた。参加した生徒がみな嬉しそうに目を輝かせ、さまざまな展示物に心を踊らせている様子を見て、今回の一滴文庫見学という取り組みの成功を感じ、教員一同満足していた。園内で昼食をとり、子どもたちが庭園の一角でバトミントンやボール遊びに興じる間、私は長椅子に腰をおろして陽だまりのひとときを楽しんでいた。すると、その長椅子の空いた側に、先ほどまで館内を案内してくれていたひとりの老紳士が腰をおろされた。私が今回のお礼を伝えると、老紳士は「今日は、どちらからお越しになられたのですか」と、会話をはじめてくれた。私が大阪から来たことを伝えると、「それは遠いところから、よくお越しくださいました」と言われ、続いて「実は、私のすぐ下の弟が水上勉なんです」と言われた。

すぐに、水上作品の中で京都の床屋さんに修行に出られていたお兄さんの存在が、私の頭をめぐった。紙の上で、文字として目にしていた人物が、今私の目の前にいることに大きな驚きを感じ「あの水上先生の作品にも度々描かれている、お兄さんなんですか」と、少し間の抜けた問いを返してしまった。すると、「そうです。弟の勉も苦労してこれだけの場所をつくれるほどの作品を世に出したんです。そこに、少しだけ、私なんかも登場したりしていますね。

弟は、故郷の子どもたちのためにと言って、この一滴文庫の運営に力を注いておりますから、私もできる限りの手伝いをしたいと思って、時間のある時には案内や管理に携わっているんです」と、笑顔で言葉を返していただいた。

水上作品によく登場してくる佐分利(さぶり)川、その流れに沿うように佇む一滴文庫のなんともいえない風景とあいまって、お兄さんの言葉はとても心地よく私の内側に響いてきた。

「そういえば、渡辺淳(わたなべすなお)さんという、水上文学には欠かせない方もこちらにはおられますね。私も挿絵や装丁などでその絵をよく拝見しておりますし、作品自体にも出ておられますね。確か、郵便配達をしながら絵を描いている方だったかと思いますが・・・・・」と言葉を発すると、先ほどまでおられたんですけどね、と残念なお応えが返ってきた。

続けて「淳さんの名前が出てくるということは、絵がお好きなのですね。ところで先生は、どのような教科を担当されているのですか」と、話の水を向けられた。私は、美術を担当している旨を伝え、銅版画を中心に、現在でも創作活動を続けていることなども勢いのままに発した。すると、「それは、どのような作品ですか。ぜひ一度見せていただきたい」と言っていただいた。

私は、日本中を駆け回って画題を選ぶが、なかでも水上作品『湖の琴』の描写のすばらしさから、余呉(よご)の伊香型民家がある風景に魅せられて、よくその地に足を運んで小説の世界をうつすような風景を探しては絵にしていると伝えた。

すると「今日の大西さんとのお話は、とても面白くて興味深かったです。やはり、ぜひ一度あなたの作品を拝見してみたいし、この話を弟の勉にもしてみたい。たぶん、勉もあなたの絵を見てみたいと言うと思います」と、言っていただけた。

楽しい時間は、瞬く間に過ぎ去り、生徒たちと共に帰路につくこととなった。私は、心を一滴文庫にのこしたままになっているような感覚にとらわれていたのだと思う。

それからしばらく時をおいて、あの時のお兄さんのお言葉を頼りに、自身の描いた銅版画を持参して再び一滴文庫に足をむけ、そして念願だった作品をお渡しすることができた。これで、私の一滴文庫にのこしてしまった心も連れ帰ることができるという気持ちで、今回は大きな満足感とともに帰路につくことができた。

あれから幾日が過ぎたことだろうか。一滴文庫に絵を預けたことなど、日々の忙しさにかまけてすっかりと忘れていたある日、一通の封書が私の手元に届いた。封書を裏返すと、そこには若州一滴文庫と水上勉の文字が。私の記憶は、すぐにあの日の状況を呼び起こし、「たぶん、勉もあなたの絵を見てみたいと言うと思います」という言葉が頭を走り抜け、中身の確認に鼓動の高鳴りを覚えた。そしてそこは、

「一滴文庫のコレクションに、あなたの作品もぜひ加えたい」

私の体は熱を帯び、上手く言葉がでなかった。

多くのご縁をいただき、水上勉先生には私の絵と共に、これまでの苦労も見ていただけたかのような不思議な感覚をいただき、言葉がでなかった。

この話は、一滴文庫が後世につながっていくかぎり、消えることのない私の物語となってくれたように思う。多くの出会いと、このご縁に感謝しつつ、これで筆を置きたいと思う。

一滴通信の表紙画像
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